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才能を私物化しない
どのように優れた能力も、それが生みだした成果も、わたしに属しながら私のものではない
才能や手柄を私有、独占することなく、それを人様や社会のために使う
つまり、おのれの才を「公」に向けて使うことを第一義とし、「私」のために使うのは第二義とする
謙虚という美徳の本質はそこにある
稲盛和夫
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経営者にとって、税金を払うことは身を切られる思いがします。
自分のお金をもぎ取られるように思えてしまうのです。
もちろん、これは錯覚です。
会社の利益は、決して経営者のものでありませんから、
私心が入ったことによる見当違いの感慨でしかありません。
私は、このような錯覚に陥らないよう、
経営はゲームだと考えるようにしています。
つまり、利益をお金と考えず、得点と思うのです。
そうすれば、第三者的に淡々と利益を見ることができるようになり、
判断を誤ることはありません。
やはり、私心を離れること、それが経営のコツと言えるでしょう。
稲盛和夫
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人を動かす原動力は、ただ一つ公平無私ということです
無私というのは、自分の利益を図る心がないということです
あるいは、自分の好みや情実で判断をしないということです
稲盛和夫
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ただ才識だけで事業を行っていくのではありません
才は使わなければなりませんが、その才を動かしていく
人間性、哲学、思想というものが必要であり
その人間性を立派なものにつくりあげていかなければなりません
人間性あっての才能だということを忘れずに経営に取り組んでいってください
稲盛和夫
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正しいと固く信じることができるならば、どんな非難があろうとも
どんな険しい道のりであっても、めざす頂に向って、
真直ぐに昇っていこうと私は心に決め
その後の自分にも他人にも厳しい姿勢で臨み続けました
それは決して間違っていなかったと思います
稲盛和夫
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したがって、どのように優れた能力も、それが生み出した成果も、
私に属しながら私のものではありません
才能や手柄を私有、独占することなく、それを人様や社会のために使う
つまり、おのれの才を「公」に向けて使うことを第一義とし、
「私」のために使うのは第二義とする
私は、謙虚という美徳の本質はそこにあると思います
稲盛和夫
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他人から「してもらう」立場でいる人間は、
足りないことばかりが目につき、不平不満ばかりを口にする
しかし、社会人になったら、「してあげる」側に立って、
周囲に貢献していかなくてはならない
そのためには人生観、世界観を180度ひっくり返さなければならない
稲盛和夫
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よい経営を続けてゆくためには、
心の底流に「世のため、人のため」という思いやりの気持ちがなくてはならない
稲盛和夫
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ウソを言わない、人を騙さない 人を妬んだり恨んだりしない 愚痴を言わない
常に勇気を持って仕事にあたる 優しい思いやりの心を常に持つ
謙虚にしておごらず、誰にも負けない努力をしていく 正義を重んじて仕事をする
足るを知り、決して欲張らない 勢いにまかせて怒ることを抑える
このような原始的であり、幼稚とも思えるような倫理観こそが、
経営者として、トップとして持たねばならない哲学、思想なのだと思います
「誠実であれ、正直であれ、謙虚であれ」というようなことは、口では容易にいえます
しかし日常生活の中で、それが常に行動として表れていなければ何もならない
その実践こそがたいへん難しいことなのです
稲盛和夫
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厳しい山を登っていくためには、準備、トレーニング、
すなわちそれに相応しい「考え方」を自分でつくっていかなければならない
立派な会社をつくろうと思えば、面白おかしいという、
楽でいい加減な考え方では駄目なのです
ズックを履き、握り飯をもって近所の裏山に遊びに行くような
簡単な会社経営をしたいのなら、楽な考え方でもいいだろう
しかし立派な会社にしようと思うのなら、立派な考え方をしなければならないはずだ
稲盛和夫
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宇宙の意志、サムシング・グレート、創造主の見えざる手
呼び方はなんでもいいのですが、そうした科学のものさしでは測れない不可知な力と
知の存在を信じ、日々を生きていったほうがいいと私は考えています
それが人生の成否を決するばかりでなく、
人間から傲慢の悪を消し、謙虚という徳と善をもたらすからです
稲盛和夫
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生まれたときよりも少しでも善き心、美しい心になって死んでいくこと
生と死のはざまで善き思い、善き行いに努め、怠らず人格の陶冶に励み、
そのことによって生の起点よりも終点における魂の品格をわずかなりとも高めること
それ以外に、自然や宇宙が私たちに生を授けた目的はない
稲盛和夫
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死によって私たちの肉体は滅びますが、心魂は死なずに永世を保つ
私はそのことを信じていますから、
現世での死とはあくまでも、魂の新しい旅の始まりを意味します
稲盛和夫
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神や仏は、あるいは宇宙の意思は、何ごとかをなした人を愛するのではありません
何事かをなそうと努める人を愛するのです
なそうとしてなせない、おのれの力のなさを反省し、
また明日から、なそうと倦まず弛まず努める
そういう人こそを救ってくださるのです
守ろう、なそうとするだけで心は磨かれるのか 「イエス」です
それで私たちは救われるのか これも「イエス」です
つまり心を高めようとする思いや、その行為の過程こそが尊く、
それによって心は磨かれているのです
稲盛和夫
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「世のため人のために尽くす」という考え方、欲望のままに必要以上のものを求めたり
むさぼったりしない「足るを知る」という生き方を心に刻みつけるのです
そのような理性と良心をもって感性や本能を制御しつつ人生を歩み、
「善き経験」を多く積んでいくことが、つまりは心を磨くことにつながり、
おのずから悟りに近づくことになる
そうやって高められた魂は、現世だけでなく来世にも継承されてゆくのです
稲盛和夫
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やはり、真のチャンスというものは単なる偶然の僥倖、つまり棚ぼたではないのです
真のチャンスとは西郷が言うように、理、つまりどうりを尽くして行い
時の勢いをよく見極めて動く場合にのみ当てはまることなのです
「かねてから国や世の中のことを憂う真心が厚くなくてはならない
ただときの弾みに乗じて成功した事業は、決して長続きしない」
今から百三十年前に西郷は、こういうことを言っていたわけです
稲盛和夫
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すべての人が天から役割を与えられ、それぞれにその役割を演じているわけで、
その意味ではどの人にも同じだけの存在の重みがあるといえるのです
一生懸命働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、
素直な反省心でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、
人格を高めるづけること
すなわち、そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことに、
まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間としての「生き方」はないように思います
稲盛和夫
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利を求める心は事業や人間活動の原動力となるものです
ですから、誰しも儲けたいという「欲」はあってもいい
しかし、その欲を利己の範囲にのみとどまらせてはいけません
人にもよかれという「大欲」をもって公益を図ること
その利他の精神がめぐりめぐって自分にも利をもたらし、
またその利を大きく広げもするのです
稲盛和夫
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ただし気をつけなくてはならないのは、利己と利他はいつも裏腹の関係にあることです
つまり小さな単位における利他も、より大きな単位から見ると利己に転じてしまう
稲盛和夫
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「利を求るに道あり」と先に述べましたが、「財を散ずるに道あり」だとも思います
お金は儲けるより使うほうがむずかしいといいます
稲盛和夫
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物事というのは、善意で考えるのと悪意で考えるのとでは、
おのずからたどり着くところがちがってくるものです
たとえば人と議論するにしても、何とかやり込めてやろう、
悪いのは相手の方だから、その非を認めさせてやろうと思っているのと
相手も困っているだろうから、いい解決策をいっしょに考えようと思ってやるのとでは、
同じ問題を扱っても結論は異なってきます
相手に対する「思いやり」のあるなしがその差を生むのです
稲盛和夫
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生まれたときよりは死ぬときのほうが少しは進歩した、少しは心が磨かれたという状態
それは、身勝手で感情的な自我が抑えられ、心に安らぎを覚え、
やさしい思いやりの心がしだいに芽生え
わずかなりとも利他の心が生まれるというような状態です
稲盛和夫
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福がもたらされたときにだけではなく、災いに遭遇したときもまた、ありがとうと感謝する
そもそもいま自分が生きている、生かされている そのことに対して感謝の心を抱くこと
その実践が私たちの心を高め、運命を明るく開いていく第一歩となるのだと、
私は心にいい聞かせてきました
したがって、必要なのは「何があっても感謝の念をもつ」のだと理性にインプットしてしまうことです
物質的にはどんな条件下にあろうとも、感謝の心をもてれば、
その人は満足感を味わうことができるのです
稲盛和夫
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たしかに人間というものは、この三毒(欲望、愚痴、怒り)にとらわれて
日々を送っているような生き物です 人よりもいい生活をしたい、早く出世したい
こういう物欲や名誉欲はだれの心にもひそんでおり、それがかなわないと
なぜ思ったとおりにならないのかと怒り、返す刀で、それを手に入れた人に嫉妬を抱く
たいていの人はこういう欲に四六時中とらわれ、振り回されています
したがって大事なのは、できるだけ「欲を離れる」ことです
三毒を完全に消すことはできなくても、それを自らコントロールして抑制するように努めること
この方法に近道はありません
稲盛和夫
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欲、すなわち私心を抑えることは、利他の心に近づくことです
この自分よりも他者の利を優先する心は、
人間のもつすべての徳のうちで特上、最善のものであると私は思っています
稲盛和夫
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社長は二つの剣を持っている 正義の剣と邪悪の剣の二つ
このうち「正剣」を抜いたときは、たしかにことごとく成功しているが
「邪剣」を抜いたときには、これまたことごとくうまくいっていない
それはつまり、社長に神がついている証拠で、正剣を抜いたときは神が加勢してくれるが
邪剣を抜いたときには神はそっぽを向いているからだというのです
邪剣とは「濁った願望」のこと
ですから、まず私心を含まず、きれいな心で思う
そのような思いをもって「正剣」を抜くことが、
物事を成就させ、人生を豊かなものにしてくれるのです
稲盛和夫
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物事を成就させ、人生を充実させてゆくために必要不可欠なことは「勤勉」です
すなわち懸命に働くこと まじめに一生懸命仕事に打ち込むこと
もちろん仕事における喜びというのは、
飴玉のように口に入れたらすぐ甘いといった単純なものではありません
労働は苦い根と甘い果実をもっているという格言のとおり、
それは苦しさやつらさの中からにじみだしてくるもの
仕事の楽しさとは苦しさを超えたところにひそんでいるものなのです
だからこそ、働くことで得られる喜びは格別であり、遊びや趣味では決して代替できません
まじめに一生懸命仕事に打ち込み、つらさや苦しさを超えて何かを成し遂げたときの達成感
それに代わる喜びはこの世にないのです
稲盛和夫
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