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一日は一生の縮図なり 森信三

一日は一生の縮図なり


今さら事新しく申すまでもありませんが、

今日という日は、一日に限られているのです。
 

人間の一生もまた同様です。
 

そこでよほど早くからその覚悟をして、

少しの時間もこれを生かす工夫をしていないと、

最後になって慌て出すことになります。 
 

ですから諸君らにも、もしその日の予定がその日のうちに果たせなかったら、

「自分の一生もまたかくの如し」と考えられるがよいでしょう。
 

そこでまたわれわれは、死というものを、

一生にただ一度だけのものと考えていてはいけないと思うのです。
 

それというのも実は死は小刻みに、日々刻々と、われわれに迫りつつあるからです。 
 

ですからまた、われわれが夜寝るということは、

つまり、日々人生の終わりを経験しつつあるわけです。
 

一日に終わりがあるということは、

実は日々「これでもか、これでもか」と、死の覚悟が促されているわけです。
 

しかるに凡人の悲しさには、お互いそうとも気づかないで、

一生をうかうかと過ごしておいて、さて人生の晩年に至って、
 

いかに歎き悲しんでみたところで、今さらどうしょうもないのです。 
 

人間も五十をすぎてから、自分の余生の送り方について迷っているようでは、

悲惨と言うてもまだ足りません。
 

そこで一生を真に充実して生きる道は、

結局今日という一日を、真に充実して生きる外ないでしょう。
 

実際一日が一生の縮図です。
 

われわれに一日という日が与えられ、そこに昼夜があるということは、

二度と繰り返すことのないこの人生の流れの中にある私達を憐んで、
 

神がその縮図を、誰にもよく分かるように、示されつつあるものとも言えましょう。 
 

そこで、では一日を真に充実して生きるには、

一体どうしたらよいかが問題でしょう。
 

その秘訣としては私は、その日になすべきことは、

決してこれを明日に延さぬことだと思うのです。
 

森信三
 

実際人生は二度とないですからね(先生幾度もくり返して言われる)

人生は、ただ一回のマラソン競走みたいなものです。
 

勝敗の決は一生にただ一回人生の終わりにあるだけです。

しかしマラソン競走と考えている間は、まだ心にゆるみが出ます。
 

人生が、五十メートルの短距離競走だと分かってくると、

人間も凄味が加わってくるんですが――
 

森信三
 

一日一生とも言います

今日、一日を一生だと思って過ごす
 

そうできたら、人生が充実する

いつ死んでもいい人生にする
 

しかし、実は、人は毎日、寝て起きるという行為を通じて

死の予行練習を積んでいる
 

そのことに気づかずに、ボーっと生きることのないように

毎日を真剣に生きる
 

それこそが、自分の人生を充実させる最も確実な方法と言える

自分が死ぬときに、「あぁ、あれをやっておけばよかった」

と、思わないようにする
 

人が死ぬときに、「こうしてあげればよかった」

と、思わないようにする

 

特に、両親、祖父母

生きている時ほど、身近な人への感謝が足りない
 

そして、死んだ時に大騒ぎする

そうならないように生きることが大切という教えです
 

親の恩が解らなかったと解った時が、誠に解り始めた時なり。

親恩に照らされて来たればこそ、即今自己の存在はあるなり 

森信三

 

今日一日を精一杯努力する 稲盛和夫
 

今日一日を精一杯努力しよう。

今日一日を懸命に働けば明日が必ず見えてくる。
 

今月を精一杯がんばろう。

今月を精一杯がんばれば来月が見えてくる。
 

今年一年を充実させよう。

今年を充実させれば来年が見えてくる。
 

そのように、瞬間瞬間を充実させ、小さな一山ごとに越えていく。

その小さな達成感を連綿と積み重ね、果てしなく継続していく。
 

それこそが一見、迂遠に見えるものの、高く大きな目標にたどり着くために、もっとも確実な道なのだ。
 

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