がんで死ぬ
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がんで死亡する
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抗がん剤が「効く」として採用、承認される基準があります
それは、レントゲン写真など画像の上で、
がんの大きさ(面積)が半分以下になっている期間が4週間以上続くこと
そして、抗がん剤を使った患者の2割以上が
そういう状態を呈することというのが条件です
8割もの患者が反応しないようなものが、
薬として認可されるなど、他では考えられません
医療側は、こういう事情を踏まえて「効く」とか「有効」といっているわけですが
患者側は「効く」といわれれば「治る」あるいは
「がんがなくなる」と受け取ったとしても責められません
同じ「効く」という言葉を使いながらも、
中身には、天と地ほどの差があるということになります
抗がん剤は、ほとんど「毒薬」か「劇薬」指定ですから
当然、強い副作用もあると覚悟しなければなりません
ですから延命効果はなくても、縮命効果はあるということです
いのちを延ばすつもりが、かえって縮める結果になっていると思うのです
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最初に、私の考える「医療の鉄則」を掲げます
一、死にゆく自然の過程を邪魔しない
一、死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない
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死に際は、何らの医療措置も行わなければ、夢うつつの気持ちのいい
穏やかな状態になるということです
これが、自然のしくみです
「栄養をとらずに横たわる人を、水だけ与えて静かに看取る」
という三宅島の先人の知恵を、もう一度、噛みしめてみる必要があると思います
「看取る」の真髄は、できるだけ何もしないで「見とる」ことにあると思われます
治せない「死」に対し、治すためのパターン化した医療を行うわけですから
わずかばかりの延命と引き換えに、苦痛を強いられることになります
まさに、「できるだけ手を尽くす」が、
「できる限り苦しめて、たっぷり地獄を味あわせる」
とほぼ同義になっているといっても、いい過ぎではない状況を呈しています
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在宅における死も、ふつうは病院医療を引き継ぎますから
ほとんど「自然死」はないといっていいでしょう
また、医者の方も、何もしないことに耐えられないでしょう
しかし、それは、穏やかに死ぬのを邪魔する行為なのです
ですから、ほとんどの医者は、「自然死」を知りません
人間が自然に死んでいく姿を、見たことがありません
だから、死ぬのにも医療の手助けが必要だなどと、言い出すのです
「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです
それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で
より非人間的なものに変貌させてしまったのです
がんでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず
穏やかに死んでいきます
以前から「死ぬのはがんに限る」と思っていましたが
年寄りのがんの自然死、60〜70例を経験した今は
確信に変わりました
繁殖を終えた年寄りには「がん死」が一番のお勧めです
ただし、「手遅れの幸せ」を満喫するためには
「がん検診」や「人間ドック」などは受けてはいけません
年寄りの最後の大事な役割は、
できるだけ自然に「死んでみせる」ことです
大往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一著 より
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