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下坐行(げざぎょう)とは


さて下坐行とは、先にも申すように、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。

 

言い換えれば、その人の真の値打よりも、二、三段下がった位置に身を置いて、

しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。

 

そしてそれによって、自分の倣慢心が打ち砕かれるわけです。

 

すなわち、身はその人の実力以下の地位にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。

 

つまり世間がその人の真価を認めず、よってその位置がその人の真価よりはるかに低くても、

それをもって、かえって自己を磨く最適の場所と心得て、不平不満の色を人に示さず、わが仕事に精進するのでありまして、これを「下坐を行ずる」というわけです

このように下坐行ということは、今も申すようにその人の真の値打以下のところで働きながら、しかもそれを不平としないばかりか、

却ってこれをもって、自己を識り自分を鍛える絶好の機会と考えるような、人間的な生活態度を言うわけです。

 

 

そこで、たとえば世間にしばしばあるように、自分よりつまらない人間の下につかえて、なんら不安の色を見せないということなども、一種の下坐行と言ってよいわけです

今これを諸君のような生徒としての場合について申してみますと、割合にそういう例は少ないでしょうが、

それでも現在諸君等のうちてこの人の経験しているように、

 

かつては自分より下級生であった者の下になるとか、あるいはもと同級生であった者の下につくというような場合がそれでしょう。

人間というものは、かような立場に身を置いてみて、初めて真に人間的鍛錬を受けることができるのです。

泰山前に崩れるともたじろがない信念というものは、かつては自分と同級生であり、

否、うっかりすると自分より下級生であった人の前に、頭を下げねばならぬような位置に身をおきながら、

しかも従容として心を動揺せしめないこの下坐行の修練によってのみ得られるものだと思います。

森信三

下坐行(げざぎょう)とは、

身を低くし、頭を低くし、地位が不当に低かろうとも、不満の色を見せず、目の前のことに打ち込むことにより自分自身を磨くこと

下坐行(げざぎょう)とは、

たとえ自分より年下の者が自分の上司になろうとも、心を動揺させることなくいられる修練

下坐行(げざぎょう)とは、己の傲慢さを削るための砥石

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