「筋を通す」稲盛和夫
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「話しに筋が通る」とか「筋が通らない」とか言います。
この‘筋’とは、人間の精神の指標のことです。
その人が持つ判断基準、いわばフィロソフィと言い換えてもいいでしょう。
皆さんは、それぞれの立場で判断を迫られるでしょう。
そして自分の判断基準に照らして、良い悪いを判断しているはずです。
そして、その判断基準の根源をたどれば、道理とか倫理、
つまり人として正しいものは何か、という原理原則であるはずです。
ですから、筋が通るということは、単に論理的に矛盾がないということではなく、
人としてとるべき道に照らし合わせて、不都合がないということなのです。
つまり、頭の中だけで軽々しく判断したものではなく、
人間の精神の最もベーシックな部分にまで立ち返って考えてみて、
理にかなっていることを筋が通るというのです。
筋を持たない人は、何も出来ません。
自分の基準をどこに置くかがわからないからです。
これに反して、筋を持った人は万般に通じていきます。
それは、筋というものが、万人に納得しうるものだからです。
正しい判断をするには、自らの中に指標が確立されていなければなりません。
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筋を通すとは、人として正しいことを判断基準にするといえる
経営者としての判断の集積がその会社を作り上げる
一人の個人でも、その人の判断の集積がその人の人生を作り上げる
したがって、自らの心の中に正しい指標が確立され
正しい判断基準を持っていることが
素晴らしい人生を送るうえで大切なこととなってくる
つまり、人として正しいフィロソフィ・哲学を持っていること
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