「自分の才能を社会のために使う」稲盛和夫
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私は、稲盛和夫と言う人間が京セラの社長である必然性はない、と思っています
神様が作った一定の比率で、
頭のいい人も悪い人も両方存在するのが社会だと思うのです
私は偶然にも会社を経営する才能に恵まれ、京セラの社長になりましたが、
その才能を私のために利用してはならない、と思うようになりました
世の中が成り立つためには、集団のリーダーになるべき人が必要であり、
その一人が偶然にも私だったのですですから、
「大きな会社の社長を務めている私は偉い人間であり、お金持ちであって当たり前だ」
などと言う傲慢な思いを抱くようになってはならないと思います
本来であれば私である必要などなどなかったのですが、
神様が私に対して「集団のリーダーになれ」と命じたのであれば、
その才能を社会のために使わなければいけません
自分の才能を自分だけのものだと錯覚して、
自分だけのために使ってはならないと思います
だから、社会に向けてその才能を使うべきであって、
個人的な欲望のために使ってはならないと思うのです
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才能を私物化しない
どのように優れた能力も、それが生みだした成果も、
わたしに属しながら私のものではない
才能や手柄を私有、独占することなく、それを人様や社会のために使う
つまり、おのれの才を「公」に向けて使うことを第一義とし、
「私」のために使うのは第二義とする
謙虚という美徳の本質はそこにある
自分の才能を自分のものだと思わない生き方をすれば
傲慢になることがない
自分の才能は世のため人のために使うものである
そう思えば、謙虚でいられる
才能を私物化せず、公のものだと思うこと
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