「真撃さの欠如」P・F・ドラッカー
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「真撃さの欠如」P・F・ドラッカー
人事は大きな賭けである。
しかし、それぞれの強みに焦点を合わせることによって、合理的な賭けにすることはできる。
優れた人事は人の強みを生かす。
できることを中心に据えて、異動を行ない昇進させる。
人事において重要なことは、人の弱みを最小限に抑えることではなく、
人の強みを最大限に発揮させることである。
大きな強みをもつ者は、ほとんど常に大きな弱みをもつ。
山あるところには谷がある。
申し分のない人間などありえない。
そもそも、何について申し分がないかが問題である。
無難にこなす能力ではなく、一つの分野で抜きん出た能力を探さなければならない。
人が抜きん出ることのできるものは一つか、せいぜい二つか三つの分野である。
よくできるはずのことを見つけ、実際にそれを行なわせなければならない。
弱みそれ自体が大きな意味をもつ領域は一つしかない。
真撃さの欠如である。
真撃さそれ自体だけでは何ものももたらさない。
しかし、それがなければ他のあらゆるものが台無しとなる。
真撃さの欠如だけは、あってはならない絶対の基準である。
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真撃さを定義することは難しい。
しかし真撃さの欠如は、マネジメントの地位にあることを不適とするほどに重大である。
人の強みよりも弱みに目がいく者をマネジメントの地位につけてはならない。
人のできることに日の向かない者は組織の精神を損なう。
マネジメントに携わる者は現実家でなければならない。
評論家であってはならない。
何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心をもつ者をマネジメントの地位につけてはならない。
誰が正しいかを気にすると、部下は無難な道をとる。
おかした間違いを正すよりも隠そうとする。
真撃さよりも頭のよさを重視する者をマネジメントの地位につけてはならない。
有能な部下に脅威を感じる者もマネジメントの地位につけてはならない。
そして、自らの仕事に高い基準を設定しない者をマネジメントの地位につけてはならない。
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真撃さを絶対視して、はじめてマネジメントの真剣さが示される。
それはまず人事に表れる。
リーダーシップが発揮されるのは真撃さによってである。
範となるのも真撃さによってである。
真撃さはごまかせない。
ともに働く者とくに部下には、上司が真撃であるかどうかは数週でわかる。
無能、無知、頼りなさ、態度の悪さには寛大かもしれない。
だが、真撃さの欠如は許さない。
そのような者を選ぶ者を許さない。
このことは、とくにトップについていえる。
組織の精神はトップから生まれるからである。
組織が偉大たりうるのは、トップが偉大だからである。
組織が腐るのはトップが腐るからである。
「木は梢から枯れる」との言葉どおりである。
範とすることのできない者を高い地位につけてはならない。
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「インテグリティ」(integrity)とは、誠実、真摯、高潔などの概念を意味する言葉