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美しい死で思い出すのはマザーテレサのことである

ある男性が「ひとつ腑に落ちないことがある」と質問した

「あなたのところでは、医薬品も人でも不足がちだというのに、
なぜ貴重なものを生きる見込みのある人々にではなく、
与えたところで死ぬに決まっている瀕死の人々に与えるのですか」

言外には、「無駄ではないか」という素朴な疑問があったと思う

マザーの答えは、はっきりしていた

「私たちの『死を待つ人の家』に連れてこられる人々は
路上で死にかけているホームレスの人々です 

彼らは、私たちの『家』で、
生まれてから一度も与えられたこともない薬を飲ませてもらい

受けたことのない優しく、温かい手当てを受けた後、
数時間後、人によっては数日後に死んでゆきます

その時に彼らは例外なく『ありがとう』といって死ぬのですよ」

マザーがいいたかったのは、望まれないで生まれ、人々から邪魔者扱いされ
生きていてもいなくても同じという思いで数十年生きてきた人々

自分を生んだ親を憎み、冷たい世間を恨み
助けの手をさしのべてくれなかった神仏さえも
呪って死んでもいいような人々が

「ありがとう」と、いまわの際に感謝して死んでゆく

そのために使われる薬も人手も
これ以上尊い使われ方はないのではないか、ということだった

話し終えたマザーは、感にたえたように

”It is so beautiful .” 

(それは本当に美しい光景です)と呟き、その後で静かに

「人間生きることも大切ですが、死ぬこと、
それもよく死ぬことは、とても大切なことです」
といわれたのであった

通訳をしていた私は、あの異臭の漂い、蝿の飛び交う
粗末な建物の中での”美しい死”

惨めな一生の最後に”尊厳”を身にまとって死んでゆく
人々の姿を教えられた思いであった

目に見えないけれど 大切なもの
渡辺和子著 PHP文庫より

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