酒井雄哉大阿闍梨(だいアジャリ)のすごさについて

比叡山には、山中や京都市内を、7年がかりで千日間
計約4万キロ歩く千日回峰行という荒行がある。
千年を超す比叡山の歴史で、
2度の千日回峰行をやり遂げた人は3人目しかいない
そして平成24年現在、生きているのは酒井雄哉大阿闍梨(だいアジャリ)だけである
・・・修行の700日が終わると、修行のクライマックス「堂入り」に入る
9日間、断食、断水、不眠、不臥
つまり、食べ物も水も断ち、眠らず、横にもならずお経を唱え続ける
医者に言わせれば「間違いなく死ぬ」というもの
また、この行は途中でやめると自害するという決まりがあり
始めたら必ずやり遂げる、という覚悟を持って始められる
やりきるか、やめるか
やめるなら死ぬ、ということ
そのため自害用の短刀をいつも持って回峰が行われる
その千日回峰行を2回満業した世界でただ1人の現存する行者が
酒井雄哉大阿闍梨なのです
京セラの稲盛氏も現存する稀有の人物ですが
酒井雄哉大阿闍梨も同じように稀有の人物です
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誰にとっても、生きていることが修行なんだな」
「行の最中、力尽きてここで倒れて死んだら、
ぼくの体は小山(おやま)の土になるんだなあと思った。
いろいろな生き物たちの栄養になれるなら、それは幸せなことだなあと」
「昨日の出来事を根に持って、今日もあれこれ考え続ける必要はないんだよ。
もし昨日怒られたとしても、しゅーんとせずに新しい気持ちでいけばいい。
嫌な人に会ったら明るく挨拶をして、
相手がぷーっとしていたら、かわいそうな人だな思っていればいいんだから」
「いつも現実だけをとらえるとしんどくなるけど、
物事は変転しているからね。
いま悪くても上昇していいときはくるし、また時がきたら下降してきて、
いいものが減っていくんだ。
人生はその繰り返しだから、長い目で物事を見て、
ダメならダメなりに生きていけばいいんだよ。」
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「寺ですることだけが修行ではないよ。
誰にとっても、生きていることが修行なんだな」
千日回峰行を人生でできないのか?
酒井雄哉大阿闍梨のように千日間歩くこともすごいが
われわれは毎日の人生で3年間(千日間)
何かに集中して取り組むことはできないものか?
起業する、会社を経営する、新しいことを始める・・・なんでもいい
毎日10時間を1年間集中して続けてみる
1年間で、10時間*365日間=3650時間
これを3年=1000日続けると 約【一万時間】になる
どんなことでも一万時間続ければ
誰でも必ず、あるところまで行ける
なにも酒井雄哉大阿闍梨のように
9日間、断食、断水、不眠、不臥をするわけではない
歩くという、たった一つのことに
これだけ打ちこめる人がいるのだから
自分にもきっとできるのではないか
そう思ったのです
私がサラリーマンを辞めて起業するときに
酒井雄哉大阿闍梨のやった千日回峰を視点を変えてみれば
だれでも、毎日、千日回峰行をしているとも考えられる
つまり、毎日が、その人にとっての業であり
どう生きるかは本人次第
一日一生と思って生きるのか
ただ漠然と生きるのか・・・
どちらの場合も、いつかは死が訪れる
その時に、どう生きてきたかが試される
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詳しくはこちら ↓↓↓
酒井雄哉大阿闍梨(さかいゆうさいだいアジャリ)
参考書籍
生き仏になった落ちこぼれ ―酒井雄哉大阿闍梨の千日回峰行
http://tinyurl.com/bf6ma
比叡山の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を2度達成した
平成25年9月23日午後心不全で
87歳 通夜は26日午後6時、葬儀は
喪主は弟子の藤波源信(げんしん)さん。
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【 酒井雄哉大阿闍梨と私 】 坂上仁志(さかうえひとし)
酒井雄哉大阿闍梨の存在を知ったとき
私は実際に、比叡山まで会いに行きました
雪の降る寒い日で、他に誰もいない中
私と酒井雄哉大阿闍梨は2人きりで話をすることができました
なぜ、私が酒井雄哉大阿闍梨に会いに行ったのか?
それは、千日回峰という荒行をした人がどんな人なのか
知りたかったからなのです
そしてその背景には、不安があったからなのです
自分で会社を作り、起業することが怖くて怖くて仕方がなかったのです
うまくいかなかったらどうしよう?
食べていかなくいけなくなったらどうしよう? .
そう思っていました
そう思って怖かったのです
しかし、酒井雄哉大阿闍梨にあって勇気をもらったのです
自らの意思で、千日間回峰行を続け、
途中で止めるならば自害する
つまり死を選ぶという荒行をやる人がいる
そして、実際に会ったときに
ニコニコと千日回峰行のことを話してくれる
「あぁそうか、千日回峰やるような強い意志を持ち、
「会社を作るということなど大した事では無いのではないか」
「死ぬ気でやればできるのではないか」
そう思ったのです
ほっとした思いとともに、勇気をもらった気がしたのです
と言うような気持ちをもらったような気がしたのです
勝手に私がそう思ったわけです
つまり、私にとっては、酒井雄哉大阿闍梨と千日回峰行というものは
会社を作るにあたって勇気をくれた人であり、事柄であるということです
しかし、千日回峰行を達成した酒井雄哉大阿闍梨のことを考えれば
自分にとって重大な決断と思えることも、たいしたことではないと思えました
死ぬこと以外はかすり傷と言った人がいますが
会社を辞めると言うこと、起業すると言う事はある意味、
そのように軽く考えても良いのかもしれません
私にとっては、起業の勇気をもらえたのが酒井雄哉大阿闍梨なのです
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一日は一生の縮図なり 森信三
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